北條民雄の生涯
- 阿南市文化協会

- 1月10日
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1月10日 阿南市文化協会役員会+顕彰碑委員会を開催。委員のお一人が作ってこられた民雄氏の生涯の資料を紹介します。
1914(大正3年) 父親(陸軍経理部)が勤めていた韓国のソウルで誕生した。
1915(大正4年) 母親が死亡し、大野の祖父母に預けられた。
1921(大正10年)大野尋常小学校に入学。大野の自然の中で育った。
・・・作文と図工のみが得意だった
1927(昭和2年) 中学校に進学せず
1928(昭和3年) 大野小学校高等科を卒業(14歳)
1929(昭和4年) 上京して薬問屋で働きながら、法政中学校夜間部で学んだ。
1931(昭和6年) 兄が死亡し、下大野町に呼び戻された。
・・・農業をしながら国文学に親しむ
ライ予防法制定
1933(昭和8年) 結婚。ライ病になり、離婚。
1934(昭和9年) 東京都の全生病院に入院(20歳)
・・・神経痛や高熱に悩まされながら、小説を書いた
患者たちは共同生活
1935(昭和10年) 川端康成に作品を送った
・・・「いのちの初夜」がベストセラー
1936(昭和11年) 無ライ県運動
国民に恐れられる病気になった
遺伝する等の偏見があるが
事実は
とても感染力の弱い感染症である
1937(昭和12年) 腸結核で死亡(23歳)
1943(昭和18年) ハンセン病に効く「プロミン」ができた。
後にノーベル文学賞を受賞した川端康成の言葉
「ノーベル賞は彼が先だった」
1984年~1994年、阿南市教育長を務めた浮橋克己氏(阿南市文化協会初代会長)は、北條民雄の異母弟と旧制中学で友人であった縁から、ハンセン病と闘いながら執筆を続けた北條の顕彰に尽力。遺族に働き掛けを続け、2014(平成26年)「阿南市の先覚者たち」を発刊し、実名(七條晃司)の公表に至った。





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